絶好調だった株式市場のラリーも、いよいよ終焉の時が近づいてきたようだ。ここ10年ほどの異様な米国株の上昇しか知らない若い投資家の中には、この事態にどう対処していいか戸惑っているひとも多いかもしれない。そこで、「相場・今昔物語」と称して、昔を知っているジジイが、当時の状況を伝えてみたい。今回は1980年代。日本が歴史にその名を轟かす「バブル経済」に沸いていた一方で、「アメリカ経済は終わった」と思われていた時代のお話。その第一話は、ボルカーFRB議長の「サタデーナイト・スペシャル」だ。
1980年代初頭・・・インフレ10%越え、FF金利20%でアメリカ経済は終わったと誰もが思っていた
1980年代初頭のアメリカ経済を象徴する事件として有名なのがFRBによる「量的金融引き締め」だ。当時のアメリカでは、今と同じように(今よりさらに深刻な)インフレに見舞われていた。発端となったのは、1979年に始まったイラン革命とソ連(今のロシア)よるアフガニスタン侵攻だ。イランからの原油輸出が停止したことから、原油価格の急騰だけでなく、原油の供給自体が不安定化して、アメリカではガソリン不足からガソリンスタンドの前に大行列が出来る騒ぎになった。そして悪性インフレを退治するために、当時のFRB議長で2008年のリーマンショックの時にもその名を轟かせたポール・ボルカー議長がFF金利を大幅に引き上げた。人呼んで「サタデーナイト・スペシャル」。
イラン革命
イランと言うとアメリカと対立して核開発している北朝鮮もどきの国というイメージしかないかもしれない。しかしイランは元々20世紀の初頭からイギリスの実質的な植民地で、イギリスは、パーレビ―国王を傀儡に立ててイランを支配していた。そしてイランの石油はイギリス系のアングロ・イラニアン石油(現ブリティシュ・ペトロリアム)の支配下にあった。しかし、第二次大戦後の1950年代には民族主義者のモサディク政権が誕生。モザディク政権は、イギリスの支配下にあった石油産業を国有化した。これに反発したイギリスは、アメリカのCIAと組んで軍事クーデターで民族派政権を追放し首相のモザディクを逮捕軟禁した。そしてパーレビ―国王が復帰し、その後独裁政権を敷いていた。その独裁政権が、イスラム勢力による革命で崩壊。ホメイニ氏率いるイスラム原理主義勢力が権力を握って今に至る。アメリカとイランの対立は40年以上続いている。
ソ連アフガン侵攻
イラン革命が勃発すると、イスラム原理主義の影響が自国に及ぶことを恐れたソ連は、当時衛星国だったアフガニスタンに軍事侵攻した。当初はソ連の圧勝と思われていたが、アフガニスタン人がソ連に対して武装ゲリラ闘争を開始。ムジャヘディーンと呼ばれたイスラムゲリラとの間で血みどろの戦争が10年以上続くことになった。そしてアメリカ政府は、CIAが中心となってスティンガーミサイルなどの軍事援助をイスラム・ゲリラに行った。特にチャーリー・ウィルソン米上院議員が行った軍事支援は有名で、ハリウッド映画にもなっている。こう振り返ると今のウクライナ戦争と状況がとても似ている。因みにアメリカのCIAが軍事援助したイスラム・ゲリラ組織の一つが、後に9・11同時多発テロを引き起こす「オサマ・ビンラディン」だ。そうビンラディンとアルカイダに軍事訓練を施したのは、アメリカのCIAだ。当時、公開されたシルベスター・スタローン主演の「ランボー3怒りのアフガン」では、アフガンのイスラム・ゲリラが、反ソ連のヒーローとして描かれている。
アメリカ大使館人質事件
イランで革命が勃発して暫く経ってから、イランのイスラム過激派学生が、イランのテヘランにあるアメリカ大使館に突入、アメリカ人の大使館員を人質に取るという事件が発生した。有名な「イラン大使館人質事件」だ。その後1年近くに渡って、アメリカ大使館員は、イスラム原理主義勢力に囚われたままになった。ベンアフレック主演のハリウッド映画「アルゴ」は、この人質事件を描いている。
人質奪還作戦失敗
当時のカーター政権は、人質を奪還しようと軍事作戦を実行した。「イーグル・クロー」作戦と呼ばれた人質奪還作戦では、デルタフォースを中心とするアメリカ特殊部隊が、テヘランに突入して人質の奪還を目指した。しかし作戦の途中で砂嵐からヘリコプターの故障が続発。さらにヘリコプターの衝突事故が発生。敢え無く作戦は中止に。今では信じられないかも知れないが、1975年のベトナム戦争敗北(サイゴン陥落)に加えて、イランでの人質奪還作戦失敗により、当時軍事大国としてのアメリカの威信は地に落ちていた。今止まっては信じられないだろう。
ボルカーのサタデーナイトスペシャル
インフレに加えてイラン革命と人質事件、そしてイランのアフガン侵攻でアメリカの権威は、当時地に落ちていた。そして1980年に行われた大統領選挙では、現職のカーター大統領が敗北して、共和党のレーガンが勝利した。そんな中1979年以来FRB議長だったボルカーが大胆な金融政策を実行した。所謂「ボルカーショック」だ。それまでの金利をターゲットにした金融政策を止めて、マネーサプライをターゲットにした金融政策に切り替えたのだ。ちょうど今の「量的金融緩和」の逆バージョンで「量的金融引締め」とでも言えるボルカーの政策で、アメリカのインフレ率は急激に鎮静化することになった。ただし一時は、FF金利を20%近くにまで引上げ急激な金融収縮を招いたたことから、この政策転換を「サタデーナイトスペシャル」と当時呼んだ。このボルカーの金融引き締め政策で、当時10%を超えていたアメリカの消費者物価は3%台まで急低下した。ただし失業率は11%を超え、GDPも3%縮小するなど、アメリカ経済は物凄い不況に見舞われた。
ちなみにサタデーナイト・スペシャルとは、当時アメリカの麻薬ディーラーが、よく携帯していた重心の短い拳銃のことだ。当時、特に土曜の夜になると、この小型拳銃を使った銃撃事件がNYで続発していた。FRBのボルカーによる過激な金融政策が、特に土曜日に発表されて、週明けの市場関係者に死屍累々の被害を与えたことを揶揄してこの綽名が付けられたらしい。
現在との類似点が多い
こう見ていくと2022年現在との類似点が多いのに気づくかもしれない。
- 原油価格急騰
- 2桁に迫るインフレ
- ソ連(ロシア)の軍事侵攻
- 金などコモディティー価格の上昇
- 弱い民主党大統領(カーター、バイデン)
- FRBによる引締め(ボルカー、パウエル)
- 番外:日本の総理は当時(大平、鈴木)も今(岸田)も宏池会
アメリカでもFRBの急激な引締めスタンスに政財界から懸念の声が出始めている。
FRBの急激な引締めで市場の大虐殺になるかもしれない
こう見ていくと現在のFRBの急激な引締めスタンスが続くと、最終的に市場の混乱を招き、株式市場の「大虐殺」となるかもしれない。





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