円安が急激に進行している。切っ掛けは3月から本格化した米FRBの利上げと日銀の指値オペだ。そんな中、円安と物価上昇の犯人として日銀の黒田総裁が世論の批判に晒されている。ドル円相場が135円台を付けた6月13日には、黒田総裁の生涯年収やマンションまでやり玉に挙がっている。こんな状況を見ていいて既視感(デジャブ)を覚えた。今から90年前にあった金解禁と昭和恐慌、そして元日銀総裁の井上準之助だ。

金本位制
金解禁と言ってもピンとこない人が多いだろう。外国為替は今は変動相場制だが、昔は「金本位制(正確には金為替本位制)」だった。また当時金本位制を採用していることが一流国の証と見られていた。列強の一角を目指す日本も、明治維新後に金本位制を採用、1897年には日清戦争で得た賠償金を基にして金本位制を本格採用した。100年前にあった第一次世界大戦中は、各国が金本位制を停止していたが、第一次世界大戦が1918年に終了すると欧米各国は続々金本位制に復帰していった。
金本位制の元では金と為替がペッグされることから、今で言うと為替レートを一定幅に収める必要が出てくる。現代に例えると中央銀行が介入をして為替レートを一定幅に収斂させる必要がある。また貿易赤字が続く場合には、金利を引上げて景気を冷やし輸入量を減らして赤字を減少させるような政策がとられていた。
金解禁
日本も第一次世界大戦中は金本位制を停止していた。戦争が終結し、列強各国が金本位制に復活したことから、日本も金本位制復帰(金解禁)の議論が起きていた。その金解禁を強力に推し進めたのが、元日銀総裁で当時大蔵大臣を務めていた井上準之助だ。
昭和恐慌
ところが金解禁を目指した昭和初期当時の日本は、騒然とした状況だった。第一次世界大戦中に日本経済は輸出が急増してバブル状態になっていた。ところが第一次世界大戦が終結すると輸出が急減、日本は平成のバブル崩壊に重なるようなデフレ不況に苦しめられるようになっていた。更に追い打ちをかけるように1923年は有名な関東大震災が発生し東京を中心に大きな被害が出た。さらに1927年には、東京渡辺銀行の破綻を切っ掛けに昭和金融恐慌が発生した。連鎖して台湾銀行(旧日本債券信用銀行、現あおぞら銀行)が破綻、さらに大手商社の鈴木商店(現双日)が破綻し神戸の鈴木商店では民衆により焼き討ち事件が発生するなと、国内はデフレ不況で騒然とした状況になっていた。また1929年には、満州で関東軍による張作霖爆殺事件(満州某重大事件)が発生するなど政治的にも騒然とした状況だった。
旧平価での金解禁
以上のよな騒然とした状況の中、井上準之助を中心として日本政府は、旧平価(一ドル=2.005円、金2分=1円)での金解禁を実行した。この時の金=ドル=円の為替レートは、当時の日本の経済力を考慮すると大幅な円高だった。1930年1月に金解禁を実施すると、為替レートが円高だったことが影響して国内の輸出産業は壊滅状態に。更に緊縮財政を維持するために政府は軍事予算を含む政府予算を削減。軍事予算の削減に怒った軍部の恨みを買うことになった。この恨みが後の5・15事件や2・26事件に繋がることに。またその後に濱口首相が、軍事予算削減を統帥権干犯とする軍部の非難を背景に過激派に東京駅で狙撃される遠因にもなっている。
当時は、東洋経済の石橋湛山や高橋亀吉など、実力以上に円高な旧平価ではなく、円を実力に合ったレベル(円安)に切下げての金解禁を主張する意見も多かった。金解禁に最初に取り組んだ田中(義一)内閣でも大蔵省を中心に切下げての金解禁論が多勢を占めていたようだ。だが、張作霖爆殺事件で田中内閣が崩壊、濱口内閣に代わると旧平価での解禁論が主流となってしまった。
世界大恐慌発生
さらに不運だったことは、金解禁の3ヵ月前の1929年10月にNYで株式市場の大暴落が発生していたことだ。当初はこの株価暴落が1930年代の世界大恐慌の前触れだとの認識が薄かったようだ。ところが1930年に金解禁後から世界大恐慌が本格化。国内でも米の価格が大暴落するなど、大恐慌が日本にも波及することになった。翌1931年にはヨーロッパのオーストリア・ウィーンにあったクレディット・アンシュタルト銀行の破綻を切っ掛けに、100年後に起きたリーマンショックに匹敵する金融恐慌が発生する事態になった。
為替統制売りと銀行の外債投資
井上ら日本政府は、金本位制を維持しようとして国内では超緊縮政策を採用し政府の予算を1割以上削減、金解禁前には利上げも実施していた。さらに為替レートを維持するために、当時の外為専業銀行だった横浜正金銀行(旧東京銀行、現三菱UFJ銀行)に「ドル売り円買い」の為替介入を指示していた。ところが財閥系の大手銀行の多くが、当局のドル売り介入を利用して「円売りドル買い」の取引を大規模に行った。当初は経済危機に陥った日本に代わって、海外で外債投資をするのが目的だったようだ。ちょうど今の日本でも、マイナス金利と融資先不足に困った地方銀行がドルなどの外債投資にのめり込んでいる状況と酷似しているのは興味深い。
満州事変とドル買い事件
世界大恐慌に伴う金融恐慌が広まる中、1931年9月18日に発生したのが有名な「満州事件」だ。満州事件が発生すると、為替市場では円売りドル買いが殺到。さらに9月21日には大恐慌を受けてイギリス政府が金本位制を離脱することにり、ドル買い円売りが更に激しくなった。満州事変を切っ掛けに通貨が暴落する様子は、現在のロシアによるウクライナ侵攻を想起させる。円売りに対して、政府は統制為替のドル売り円買いで対抗しようとした。しかし三井銀行を筆頭に三菱、住友などの大手銀行は逆に「統制為替売り」を利用して大規模な「円売りドル買い」の投機を行った。この財閥によるドル売りは、まるで100年後に起きた現代のヘッジファンド顔負けの大規模投機だったようだ。
三井の「ドル買い事件」 | 三井広報委員会 (mitsuipr.com)
2回の利上げと為替統制
三井銀行など大手銀行の円売りに対して、井上ら政府は1931年の10月と12月の2回に渡って利上げを実施、さらに実需の伴わないドル買いを禁止するなど強硬策で対抗した。これもまるで1992年のポンド暴落に際してのBOE(バンク・オブ・イングランド)の無制限為替介入を彷彿とさせる。さらに政府は、三井銀行らのドル買いを「売国的行為」と非難した。そんな中、三井ら大手銀行のヘッジファンド顔負けの大規模円売りドル買い投機が明らかにならると世論が沸騰、右翼によるクーデター事件が摘発され(十月事件)、更に左翼の過激な勢力が三井本店に押し掛けるなど国内は騒然とした状況になった。
大恐慌中に最悪の政策連発
井上準之助ら当時の政府は、あらゆる手段を尽くして金本位制を維持しようとした。しかし実力以上に円高だった旧平価に拘った上に、不幸なことに世界大恐慌と金解禁が重なる事態になった。世界的デフレと金融パニックの中で緊縮財政と円高維持のために、ドル売り円買い介入、そして為替相場維持のための2回の利上げと、今思うと最悪の政策を連発するとことに。更に当時の世界金融の中心で金本位制に最も固執していたと思われていたイギリスがあっさり金本位制を放棄。それでも井上らは金本位制を維持しようとしたが、年末の12月11日に閣内不一致から大臣の一人が閣議をボイコットし、金本位制を推進していた若槻内閣はあっけなく崩壊した。
呆気なく金本位制終了
若槻内閣の崩壊を受けて新たに誕生した犬養内閣は、井上に代わって高橋是清を大蔵大臣に任命。高橋蔵相は就任すると速攻で円と金の交換を停止する緊急勅令を発し金本位制を停止した。1930年から続いた金本位制は、約2年でここにあっけなく終了することとなった。
その後のドル円相場は、円が大暴落し、1年後には1ドル=2.025から1ドル=5円まで半分以下になっている。
異次元の金融緩和もあっけなく終わるか?
今のところ日銀による異次元の金融緩和は終わる気配はないが、来年に黒田総裁が退任すれば、同じようにあっけなく終了となるかもしれない。
血盟団事件と井上準之助暗殺
翌年の1932年に発生したのが有名な血盟団事件だ。血盟団とは僧侶の井上日召を中心とする右翼テロリストグループで、「一人一殺」を旗印にテロによる世直しを唱えていた。そして昭和恐慌が深刻化する中、金本位制が停止された翌年の1932年3月に連続テロ事件を起こした。
この血盟団事件で金本位制を強力に推し進めた井上準之助が暗殺された。またドル買い事件で世論の批判を浴びた三井合名理事だった團琢磨が日本橋の三井本店前で暗殺された。ちなみに日本を代表する作曲家團伊玖磨は琢磨の孫、現在モデルやタレントとして活躍している團遥香は曾孫だ。

血盟団事件の後もテロは止まず、その年の5月には有名な5・15事件が発生し、首相の犬養毅が暗殺されている。
アベノミクスと金解禁
最近の円安と日銀の黒田総裁への個人攻撃を見ていて、90年前の金解禁と血盟団事件を思い出した。円高誘導(金解禁)とデフレ、円安(量的金融緩和)とインフレと方向は真逆だが、賞味期限の切れた政策を強行している部分は共通点が多い。庶民の生活が困窮している点も似ている。更に為替投機も活発に行われている。黒田総裁の異次元の金融緩和は、来年の任期満了と共に終わるのだろうが、インフレが昂進して庶民の生活がこれ以上困窮するような事態になれば、90年前と同様に世相が騒然とする可能性も否定できない。ちなみに90年前には、新しく蔵相に就任した高橋是清が金解禁を即刻停止している。しかし、その高橋も5年後の2・26事件で暗殺されている。あとはご存じの通り1945年の敗戦に向けてまっしぐらだ。今回は同じようにならないことを祈っている
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