2022年の年初来続いている円安が、ここに来て更に加速している。6月9日にはとうとう一ドル134円台まで円安が進行した。この急激な円安の推移を見ていてデジャブ(既視感)に襲われた。それは1992年に起きた有名な「ポンド大暴落」だ。今回は、この1992年に起きたポンド大暴落について記してみたい。
きっかけは1990年の英国ERM加入

1992年と言うと30年前の話だ。最近相場に加わった若い投資家の中には生まれていない人も居るだろう。ポンドの大暴落のきっかけになったのは、1990年に英国がEMS(欧州通貨システム)に加入したことだ。当時、西ヨーロッパ各国は、後の共通通貨ユーロへの準備段階としてEMSという通貨同盟を結ぼうとしていた。今のユーロしか知らない人には信じられないかもしれないが、当時の欧州通貨は西ドイツのドイツマルクを除き通貨安に苦しんでいた。特に社会主義的な経済で恒常的なインフレに悩まされていたフランスとイタリアの通貨は非常に弱く、度々暴落していた。その最弱通貨を統合して、米ドルや当時バブル経済に沸いていた我が日本円に対抗しようとして発足したのが今のユーロだ。
そして統一通貨ユーロを発足させる前段階として、欧州各国に主要通貨の変動幅を一定レベルに保とうとしたのがEMS(欧州通貨システム)だ。イギリスは当初は、このEMSへの参加を躊躇していたが、経済からの後押しもあり、最終的に1990年にEMSに加入することになった。
ポンドのレートが高すぎた
EMSに英国が加入する際に問題になったのが、基準となる為替レートだ。当時のイギリス経済は、サッチャー政権の新自由主義政策の効果が出て、英国病と言われた経済低迷から脱却しつつあった。イギリスのサッチャー首相は当初はEMSへの加入に反対していたが、結局1990年にEMSに加入することになった。しかし加入の際に設定された対マルクのレートが1ポンド=2.95マルクとポンド高過ぎた。ポンド高の影響からイギリスは再び不況に見舞われるようになり、危機が起きた1992年には失業率が10%を超えるまでに経済が悪化していた。
キングス・クロス駅に売春婦がたむろ
以前イギリス人にこの時期の話を聞いたことがある。今では信じられないかもしれないが、街には失業者が溢れていた。ロンドンのキングス・クロス駅の周辺ではホームレスやジャンキー、そして喰うに困った売春婦が大量にたむろして治安がとても悪かったそうだ。今のロンドンの活況しか知らない人には、想像もつかないだろう。
ドイツのブンデスバンクが利下げを拒否
同じく不況に苦しんでいたイタリアなどと共にイギリスは、ドイツに対して協調しての利下げを求めた。しかし1989年のベルリンの壁崩壊以来、東ドイツの統一コストが嵩んでインフレが昂進していたことからドイツは協調しての利下げを拒否した。そして利下げではなく、イタリアとイギリスに対してEMSに対しての基準為替レート切下げを要求した。しかし大英帝国のプライドが邪魔をしてイギリスは拒否。ドイツとイギリスの交渉は膠着状態となった。
イタリアの通貨危機からポンド売りに波及
1992年の9月に入るとイギリスと同じように、通貨高で不況にあえいでいたイタリア・リラの切り下げ観測からイタリアリラが市場で売られ始めた。イタリアの金融当局はドイツのブンデスバンクに協調介入を要請するも、当時のブンデスバンク総裁のシュレジンガー総裁は、これを拒否。さっさと基準レートを切り下げろと暗に求めた。結局イタリアは通貨防衛を諦め9月13日(日曜)に7%の切り下げを発表した。そして市場は次の切り下げのターゲットとしてポンド売りを始めた。
正論を吐くドイツ人が今でも欧州で煙たがられているのは、この時の恨みもあるらしい。
運命の9月16日・・・暗黒の水曜日
一日2回の利上げ
イタリア・リラの切り下げがあった翌週になると外為市場でのポンド売りが激しくなった。そして9月15日には、ERMのバンドである2.25%を超えるようになった。バンクオブ・イングランドはポンド買介入で対抗したが市場でのポンド売りは止まなかった。翌9月16日にバンクオブ・イングランドと英国政府は政策金利の利上げを決定。午前中に10%から12%に2%の利上げを実施した。しかし昼を過ぎてもポンド売りは止まなかった。そして午後になりバンク・オブ・イングランドは、再度の利上げを実施。12%から15%へ一日で2回の利上げを実施した。しかし、それでも市場のポンド売りは止まらなかった。むしろ利上げを当局の弱さと見た市場筋は、ポンドを更に売り浴びせた。
BOEの介入が止まる
BOE(バンク・オブ・イングランド)は市場介入のポンド買いを続けていたが、9月16日の午後半ばに突然BOEのポンド買いが止まった。既にこの時点でBOEは、外貨準備の半分以上に当たる150億ポンド使っていた。BOEが通貨防衛を諦めた瞬間だった。その後ポンドはつるべ落としに下落した。
ポンドERM離脱
翌9月17日(木曜)にはイギリス・ポンドのERM離脱が正式に発表された。ポンドが急落した9月16日は「中央銀行(と政府)が市場に負けた日」として、その後長らく語り継がれることになった。
ジョージ・ソロス大儲け
このポンド危機で名を挙げたのが、ヘッジファンドで有名なジョージ・ソロスだ。ジョージ・ソロス率いるソロス・ファンドは、この時1兆円近いポンド売りを実施したと言われている。そして1000億円近い利益を上げたと噂されている。それまで一般には知られていなかった「ヘッジ・ファンド」なる言葉が一般にも使われるようんなったのは、この事件がきっかけだ。
その後のポンド・・・ホワイト・ウェンズデー
その後も1995年まで3年以上に渡ってポンドの下落は続いた。対ドルでも30%以上、対円に至っては、同時期に急激な円高が進行したこともあり、一ポンド=240円近くあったポンドが、最終的には一ポンド=140円まで半分近くに下落している。しかし意外なことにポンド安が進むにつれてイギリス経済は復活していった。為替レートを気にすることなく金融緩和を実施できたことから消費が復活。さらにポンド安で輸出が復活したことも景気回復を後押しした。今のロンドンの活況は実は、このポンド危機から始まったと言えるのは皮肉なことだ。
2009年の欧州通貨危機を先取り
この通貨危機は、20年後の2009年から数年間続いた欧州ソブリン危機を先取りしていたと言われている。ギリシャの財政赤字隠蔽発覚から始まった欧州ソブリン危機は、その後スペインやイタリアなどの所謂PIGS諸国売りに波及した。通貨と金融政策は統合されているが、各国の財政政策は統合されていないという制度の矛盾が顕在化したのものだからだ。この構造的制度矛盾は、ユーロの発足当初から度々指摘されていた。しかし欧州統合の政治的な思惑が先走りして、制度の矛盾が放置されていた。因みにこのユーロの構造的矛盾は、コロナ危機でEU各国が共通債を発行するに至りある程度解消されている。とうとう財政政策も一部統合されたのだ。なんとコロナのおかげで。
構造問題は顕在化する・・・円安は止まらないかもしれない
この30年前の1992年に起こったポンド危機、そして2009年に始まった欧州ソブリン危機とも共通点がある。それは、政治的な思惑から通貨と金融政策に最初から構造的矛盾が存在したことだ。そして、現在の急激な円安についても「日銀が(暫くは)利上げできない」という構造的矛盾が存在する。アベノミクスと異次元の金融緩和(QQE)を維持しようとする限り、その構造的な皺寄せは「為替レート」で解消されることになる。今回の急激な円安に関しても、背景の構造的矛盾がある限りそう簡単に終息することはないかもしれない。
何故か危機は9月に起きる
今回1992年のポンド危機を振り返っていて感じたことの一つが、「危機は何故か秋(特に9月)に起きる」ということだ。例えば2008年のリーマンショックも9月だった。また日本でバブル崩壊後の金融危機が発生した1997年も、危機の最初の切っ掛けは9月に発生した「三洋証券の破綻」だった。さらに遡れば1986年のブラック・マンデーや、1929年の大恐慌の株価大暴落が発生したのも秋(10月)だった。今回の円安に関しても、7月10日の参議院選挙と11月のアメリカ中間選挙の間の数か月がもしかしたら危機のタイミングになるかもしれない。
今から準備を
もしかしたら円の暴落という歴史的瞬間を目撃すると同時に、一儲けできる一世一代のチャンスになるかもしれない。今から準備をしておこう。
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