株式市場が下落基調を強める中、岸田首相の「新しい資本主義」というキャッチフレーズが、株式投資家の間に波紋を広げている。この「新しい」資本主義とは、いったい何を意味するのか?混乱している人も多いに違いない。ということで狼狽しないように、この意味を考えてみた。
会社は汚い!
今回の岸田首相の「新しい資本主義」と言う標語を聞いて、最初に思い出したのが、キャリア官僚になった大学の同窓生の言葉だ。とても勉強ができて真面目な人間なのだが、就職活動の時に彼が言った言葉が今でも忘れなれない。
それは、「会社は汚い!!」というものだ。
この言葉を聞いた時にはとても驚いた。私は当時も今も「市場経済は素晴らしい」と思っている。そんな(彼から見たらウブな私に)彼が言うには、「競争をして人を蹴落としたり、時には不正ぎりぎりの手段も厭わない民間企業は全て汚れている」ということだった。自分は、そんな汚れた組織には所属したくない。だから公務員になるのだと明言していた。てっきり世のため人のためや、国家に仕えて大きな仕事をするために公務員を志望しているのだと思っていた私はとてもびっくりした。
日本政府の役人は社会主義者
その後も仕事やプライベートで、公務員(役人)と話をする機会が結構あったのだが、民間企業というか、市場競争や市場経済を敵視している人が予想以上に多いことに改めて驚いた記憶がある。
彼らに言わせると、民間企業というのは、統制の効かない野合の衆で、隙あれば人の弱みに付け込み、利益を貪る野獣の集団ということになる。モラルもなく利益を貪る民間企業は、日本政府が規制をかけて統制する必要があるというのが、彼ら官僚の考え方が。日本政府というか役人は、この野獣の集団から、純粋無垢な日本人の庶民を守る正義の味方だというのだ。
株価が上がると「嫉妬」の感情が増幅される
以上の話を読んで、驚いた人も多いだろうが、反面、実は日本人のかなりの人が同じ気持ちを持っているのかもしれないと感じた人も多いだろう。
特に経済がある程度好調で、株式や不動産市場が好調な時には、この市場というか「金」を汚いと思う風潮が表に出がちだ。自分たち庶民を差し置いて、目端の利く人間だけが利益を得ているという「嫉妬」の感情が増幅されるのかもしれない。
「金」が汚いという考えは、論語がルーツ
この市場経済を敵視する思想は今に始まったものではないらしい。遡ると儒教の「論語」にまで遡れるそうだ。近代的な経済が始まる前の社会は、身分制を中心とした「封建制」だった。人々は生まれながらにして身分が固定されており、社会の安定が(表面上)保たれていた。そして、封建制や身分制の経済的な土台となっていたのが「土地」と「農業」だ。
市場経済が発達すると、この身分制が崩れる。唯一の価値基準だった農作物である米(コメ)の価格が市場で変動するようになる。江戸時代なら当然支配者階級である武士の生活レベルも、コメの市場価格によって変化するようになる。
ところが、そのコメの市場価格を支配者階級である権力者(江戸時代なら武士)は、コントロールすることが出来ない。市場を支配しているのは、教養の欠片もない(ように見える)商人たちだ。それどころか、その商人一人ひとりにも市場をコントロールすることが出来ない、市場を支配しているのは、商人の烏合の衆の集団である「マーケット」そのものだ。この現実に我慢できない人が意外に多い(特に公務員に)。
市場(マーケット)が社会の矛盾を暴く
支配者階級に我慢できない事の一つが、市場(=マーケット)が社会の矛盾を遠慮なく暴くことだ。一見立派に見える組織や会社も、株式市場で否応なく値付けされる。日本を代表する自動車メーカーのトヨタが、まだ操業して20年足らずの売れるかもわからないTESLAモーターズより安く評価されることもある。社会の支配下階級にある人間にとっては、自分たちが「Tシャツを着たチンピラのような若造」より価値が低いと評価されるのだ。これも支配者階級の人間にとっては我慢ならない。また社会の抱えている構造的な矛盾も否応なく「株価」として可視化される。いくら今売れている商品でも将来的には無価値になる可能性がある場合には、市場は明確に数値として表す。支配者階級にある人間にとっては、ある意味、市場は「革命」であり「反乱の場」であるとも言える。自分が中心の「体制の敵」なのだ。こう考えると、多くの官僚や政治家が、市場を忌み嫌うのも分からないでもない。
構造的な矛盾は長続きしない
しかし市場で値付けされ可視化される「矛盾」が構造的な場合には、長続き出来ない。いくら権力者が市場に介入して、その矛盾を覆い隠そうとしても「矛盾」自体が消えて無くなるわけではない。よくて先送りが出来るだけだ。そして先送りすればするほど、「矛盾」は増大していく。最後は先送り隠蔽出来なくなって「破綻」を迎えるだけだ。
「新しい資本主義」とは先送りのこと
結論を言うと、岸田首相の唱えている「新しい資本主義」とは、「先送り」のことだ。根本的な「矛盾」の解決を一旦先送りしましょうというだけの話だ。新型コロナで露呈した医療体制や感染症対策のみならず、少子高齢化や年金などの社会保障問題などすべての問題について、当面は様子見というものだ。
先行きは、あまり明るくない
岸田首相の唱える「新しい資本主義」とは、市場と金を忌み嫌う「封建主義」「儒教」の現代版だ。そしてこの考えがある程度国民に支持されていると考えると、先行きはあまり明るくない。市場が求めているのは、終身雇用を止めて金銭解雇を解禁するような大胆な雇用改革であり、一方経営者には、株主資本主義を徹底させ、ガバナンスを強化し、無能な経営者は一発で退場させるような改革だ。ましては粉飾決算をするような経営者は、厳しく処罰されるような体制だ。
しかし岸田首相がやろうとしているのは、「経団連に賃上げをお願いすること」であり、「株式の利益への課税」であり、「現金のバラマキ」だ。残念ながら先行きは、あまり明るくないようだ。
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